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バニラソング

 「いるかのお腹ってこんな感じだろうか。」羊はもぐり込んだ椅子の下から裏側を見上げた。「僕はいくらになるのだろうか。」裏側には美しい銀色の板が張ってあった。暗いせいで何も映らず、かすかに洩れてくる明かりを反射して光っていた。羊が見とれていると向こうでガチャンと音がして誰かが部屋に入ってきた。羊は慌ててコンピューターの画面に戻った。

 

 「あの煙突はなにかしら。ちょっと確かめに行ってみようと思うのだけれど。」「近そうに見えても、ああいうのって向かってみると以外と遠くて、しかもだんだん見えなくなるんだよ、周りの建物やなにかで。方向感覚だけで歩くということが出来ない君には無理だよ。やめといた方がいい。そのうち近所の誰かが行って報告してくれるよ。前にサーチライトを追いかけて行ったことがあるけど、ただの新装開店のパチンコ屋だった。あれだって別に探しに行くほどのことはないよ。」一組の男女の次には若い女が入ってきた。「行けば?」女は静かに視線を落とし、そっと出ていった。若い女は言った。「ここのカウンターのテーブルと椅子を、すごく高く、したらどうかな。」「なんで?」「よじ登るように背伸びをして椅子に座って、あなたの顔をみるの。」「よじ登る、君が?ネズミ返しつけるよ。」

 

 男はポストに手を置き、「うさぎ」と言ってうろたえた郵便受けからお金を奪って生きていた。ある日男はポストの中に自分宛の手紙が入っているのを発見した。「私を捜して下さい。消しゴムの中の小さな運河に、閉じこめられています。観光客は何も見てないし、船乗りは笑ってばかりいます。星はただ眠るばかりです。小さな円い窓から私はやっとあなたを見つけました。あなたはただ間違いを探して下さるだけで結構です。どうかお願いします。」男は読み終わるとすぐ、煙った空にその手紙を放り投げた。「正義の味方になれって、この僕に。」

 

 「大丈夫、聞こえてますよ、続けて下さい。」防腐剤屋は言った。「自然のまま、なんていい訳がないのです。人は自然の名を借りてあなたを傷めるばかりです。心配しないで、すべて話して下さい。言葉にすると失いそうだ、なんてことは考えなくてもいいんですよ。僕はただの防腐剤屋ですから。この町では防腐剤屋は姿を見せてはいけないことになっていて、こんな形でお話を聞くことになってごめんなさいね。」郵便局の小さな建物の脇に、少女達が10人程集まっていた。「最近仲間の内の一人が突然いなくなったのです。彼女はいつも二階のベランダで王冠を作っていました。とてもでたらめな材料で、とてもたくさん。月桂樹がシロツメクサだったり、宝石がリンゴの皮だったり、銀が魚のウロコだったり。ある日、別の仲間がそれらのいくつかを盗んで製紙工場の排水管の下に捨ててしまいました。だってね、許せないじゃないですか、冠なんて、どう考えたって。それから間もなく、彼女は姿を消しました。私たちは町内会の力を借り、それからすべての冠を探し出して廃棄しました。町にこんなに明かりがあったのか、と思うくらい捜索を徹底しました。大人達はその後、宴会を始めました。いや、僕達もやっぱりやるときはやるものですね、とか言って。そして私たちは急に怖ろしくなりました。誰も彼女を、捜そうとはしなかったのです。」

 

 動物や物質の能力や性質というのは、ある感覚や機能が飛び抜けて発達している、など人間が道具を使って実現しようとするものだけではない。羊は例えば、未来を予知し、それを伝えようとする。空間を無条件に移動するし、ありとあらゆる通信手段を持つ。社会的動物のようでいて、実は比較的自由である。羊はそれから、ずっと女についていった。女は黒い空を目指し、ただひたすら歩き続けた。女は次第に真っ黒になり、やがて闇に溶けた。羊はそれでも後を追いかけた。

 

しとしとと雨が降り、やがて雷が鳴った。少女達は「シマウマステージ」と言って町の歩道や階段やエレベーターの床にびっしりと椅子を敷き詰めていき、その上にぽこぽことバニラアイスクリームを置いていった。少女達は町を、シマウマのように、バニラアイスクリームにした。雨はアイスクリームを照らしながら屋根や道路に流れ、雷はバニラの香りを発信した。人々は歯を見せて笑い始めた。他人の薬指にチューブをはめ、その先に簡単なプリンターをつけ、勝手な文章やイメージを引き出させて増殖させるというゲームが流行した。子供や老人は、相手の心の歪みを通されてプリントアウトされやすく、ひどく早く衰弱した。花弁は人々の傘を洗い、やがてすべて姿を消した。 

 

図書館はアイスモナカのように完全に口を閉じ、男はそこに一人で隠れていた。そして子供の頃のことを思い出していた。町では子供に靴を与えるとき、中にびっしりと羽毛を詰めて渡す習慣があった。子供はそれを すぐ目の前で、あるいはこっそりと隠れてそれを捨て、新しい靴を履いた。男は子供の頃ずっと、うまく羽毛を捨てることが出来ず戸惑い、ずっと靴の傍らにしゃがんでなす術も無くうずくまっていた。多くの人が彼のもとを訪れた。どうしたの?勇気を出して。本を読んであげよう、歌を歌ってあげよう、君をヨットに乗せてあげよう。彼らはそして、とても満足して帰っていった。僕はこの靴を履きたいだけなのに。少年はいつまでもそこにうずくまっていた。銅や銀を使っても、彼はうまく自分の心を切り取ることが出来なかった。 

 

男は暗くて腹痛を呼ぶ図書館でずっとじっとしていた。壁には板チョコレートが飾られていた。「ここでは偉人の写真ではなく、板チョコレートを展示します。凹みの部分では毎日板割りショーをお見せします。いえただ、ポキポキ折ってチョコレートを自由にお食べ下さいというだけのことなのですがね。図書館も自由競争の波にさらされていて、なかなかサービス合戦が大変なのです。あと、実は板チョコの窓に、もっと人々に注目してもらいたいと思っています。各企業が一番力を入れているのは、実はあの窓なのです。額縁に例えたら、絵の部分ですね。実はあそこは、『一緒の花』と呼ばれています。窓の向こうには、その人その人に生まれながらにある自分の花、が隠されています。今までチョコレートを食べるときには気が付かなかったと思いますが。そんな話を展示しようということになったのは、実はここの館長がおかしな事を言いだしたからなのです。『ブロック塀には花が隠されている。僕はそれを助けに行かなくてはならない。』ブロックの中に開いているあのあの穴のことだと思うのですがね。あの中で、花なんか育っているわけがないのに、ですよ。」 

 

少女は頭にダチョウを乗せ、一人で夜道を歩いた。涙は溶けて雪になり、やがて潜水艦になった。少女はまもなくそれに捕らえられた。窓の外には、群衆がいた。彼らは一斉に向こう側の何かに見入っていた。そこではなにかの競技会が開催されていた。少女とダチョウはグレーのユニフォームを応援した。まもなくグレーのユニフォームは優勝した。次に美しい女の歌手が登場した。少女はその姿を見て以前病院の待合室で読んだ外国の絵本の事を思い出した。絵本を見た後、彼女はグオングオン回っている洗濯機にあやまって手に持っていたビー玉を落としてしまった。ビー玉はどんどん水の底に吸い込まれていってしまった。しばらく水面をみつめていると、やがてぽこっと王冠が浮かび上がった。驚いた彼女はそれから自分で王冠を作り始めた。 

 

潜水艦は潜水を始めた。少女は気圧の変化に慣れるためにハーモニカを吹いた。すると潜水艦の周りにうようよとチョウチンアンコウが集まってきた。おいで。潜水艦はチョウチンアンコウと共にさらに深く沈んだ。ねえ君は、全然悪くないのだから、そんなに泣いてはいけない。潜水艦はそれから、どうやら掃除機のホースのようにぐねぐねとして窮屈なところに吸い込まれた。しばらく激しい振動か続いた後、どこかにドスンと放り出されたような衝撃があり、窓の外が急に明るくなった。

 

 図書から次々傘が現れ、男はそれらに持ち上げられて、そのまま建物の梁になった。扉がバタンと開けられ、そこに女が入ってきた。ああ間違い、を恐れたあの人が、ここに来ているのではないかと思ったのだけれど。あの人がいつも不安げに見つめていたあの白くふわふわした煙が、なんでもなかったのよ、と言ってあげたかったのに。あなたの言ったとおり、私にはなかなか難しい旅だった。煙は遠くからは白く見えていたのに、実は真っ黒だった。大変な思いをしてたどり着いた先は、あなたの言ったとおり平凡な工場だった。そこでは防腐剤を作っていて、そこの人があなたねえ、すぐに帰りなさい。って言ったの。「僕はある少女を探していました。僕はアットランダムに郵便受けを回り、しかも人間のある種の感情に非常にアンテナが高いあの男に少女を見つけてもらおうとメッセージを発信しました。しかしそれはどうやら彼にはすべてマイナスに働いたようです。少女は先日無事見つかりました。あるいは彼が何らかの形で自分の間違いに気づいたのかもしれません。しかしアンテナの高い彼も、貴方の事は誤解していたようですね。もしかしたらただあなたにこんなに遠くに向かって欲しくなかったのかもしれない。せっかくここまで来て頂いたのですから、お土産に防腐剤をどうぞ。ではさようなら。」

 

少女がたどり着いた先は駅構内のパン屋だった。パン屋は驚き、すぐに防腐剤屋に電話をした。ダチョウさんは、パン好きかな。僕のところのパン、結構おいしいって有名なんだよ。今までどこに行っていたの?よく一人で、がんばったね、えらかったね。もう迷子になっちゃあだめだよ。お土産に、パンをあげるね。元気で、さようなら。

 

若い女がやがて、羊の買い付けに成功し、図書館はダチョウの大群に食べ尽くされてしまった。     終