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大阪 膝から小魚’

 僕は町のトイレ職人だ。そんな地味な仕事をしている僕が今、ある紳士にある事件の追跡調査を依頼されている。僕は追跡なんて得意じゃない。とってもあきっぽく、なんでもすぐ途中で放り出してしまう。子供の頃は辛抱が趣味で、自分一人我慢すれば世界が救えると本気で信じていた位なのに、今ではコーヒー断ちさえままならない。壊れたビデオデッキは半年もほっておかれたままだし、読みかけの本はもうたまりすぎて一つの違う生き物となり、部屋の隅で恨めしそうに日々の埃を呼吸している。英会話の教材なんかも、どこかを探せば出てくるはずだ。そんな僕がなぜか、うまくこんにちはが言えなかったから現象、なんていうものに巻き込まれる事になってしまった。

 僕はいつもの団地のいつもの公園へ行った。そしていつもの少年がやってきた。「おもちゃちょうだい。」「コーヒー豆のやつでいい?」「いや。今日は材料の持ち込みをしたいねんけどいいかな。」そう言って少年は何かの鍵の束を僕に渡した。「いいの?だいじなものじゃないの?」と聞くと少年はもういらなくなったやつだから、と言って笑った。僕は道具箱を出し、早速仕事に取りかかった。僕の仕事は簡単で、そのへんにある材料、たとえば野菜や粘土、石やはりがねなんかで洋式トイレの手のひらサイズのミニチュアを作って売ることだった。多彩な材料を使うけれど、作るのはふたがぱかんと開く洋式トイレだけ。それなのになぜかいつも注文が途絶えず、かといって大金持ちになるほどではないけれど、それでも日々の生活には困らないくらいの収入になった。なぜそんなものがこんなに需要があるのかは、僕にもよく分からない。何かのお守りくらいにでも思ってくれているのだろうか。僕は鍵の束をバーナーで溶かしたりねじ曲げたり伸ばしたり30分位そんなことを繰り返して一つのミニチュアを完成させた。少年は満足そうな顔をして家の方へと走っていった。

 「何故洋式トイレしかお作りにならないのですか。何か人間の深層心理に関係することの研究でもなさっていたのでしょうか。おかしな話、和式のものはお作りにならないのですか。」僕のところには、たまに話をするのが目的でやってくる人がいる。「なんと言いますか、これが僕のスタイルなのです。」とかなんとか言って、僕はお茶を濁してしまう。「昔は色々作っていたのが、結局思いつきで作ったこれが一番売れることに気がついた、それだけのことなのです。正直申しまして。」そんな風に答えることもあった。僕の所にやってくるのは、大概そんな感じの決まり切った会話の、いわば天気図のようなものだった。そしてある日、「あなたに追跡調査をお願いしたいのですが。」と言って、名刺も何も出さないおかしな初老の紳士がやってきた。


長崎 春雨通り’

 僕はビワの採集に没頭した。手を休めると、あの紳士がビワの皮を剥いで顔をひょいと出しそうな気がした。ビワの皮は商品の材料にするためのもので、あの顔をラッピングしているわけじゃない。分かっていても、僕にはあの紳士の顔があちこちにくるまれているような気がして、ビワに傷をつけないよう丁寧にしかも素早く作業をした。「うまくこんにちはが言えなかったから現象、というのをご存じでしょう。」あの時紳士は僕に一方的に話しかけてきた。「事件は簡単で、要はこういう事です。『うまくこんにちはが言えなかったから僕の初恋は膝から飛び出た小魚のように行き場を失ってしまった。』と言う歌が流行し、その後何故か人々が老若男女を問わず地図作りに熱中しはじめた。地域の商店街マップを作る者もいたし、星座の周期表を自分の観察で作るのだと張り切る者もいた。」現象、の説明を一方的に話したところで紳士は一呼吸おき、メガネを丁寧に拭いた。屋外は苦手なようだ。再び話を始めようとした紳士を遮り、僕は紳士に話しかけた。「大方何処かの少女が『あたしは何処の地図にも載せてもらえない』とか言って海の蛸壺にでも入ってしまったのでしょう。紳士は驚いた様子でこう答えた。「その通りです。もっとも蛸壺ではなくてマンションの一室ですが。」歌詞を書いた人に会わなきゃここからでない、と少女は言うので、今失踪してしまっている歌手を捜し出して、少女を助けてやってほしい、と紳士は言うのである。今その歌手は大阪にいるらしい、君の作品を欲しがっていたようだから、近いうちに会うだろう。口の堅い彼から、作詞家の名前を聞き出して、どうやら本人ではないらしいので、その作詞家を捜し出してほしい。大方そういう内容だった。その歌手が僕のミニチュアを欲しがっている、という情報だけで、よくここまで僕を捜し当てたものだ。あの歌と地図ブームとの関連性は、はっきりと証明された訳ではないけれどいつか、こんな事が起こるだろうと僕は漠然と予感していた。「分かりました。協力します。」そう約束して、僕は長崎へと逃げてきた。その女の子には悪いけど、僕はもうあの出来事は思い出したくないのだ。奴が大阪に来ているのなら、僕がその歌詞を作ったことがばれるのは、時間の問題だろう。自分の追跡なんてお断りだ。僕はビワもぎに専念した。

 そして長崎で僕はニュースを見てしまった。少女は思ったより頑なで痩せていた。後姿が大きく映し出されていた。どうやってこの映像を映したのかは分からなかったが。僕はビワの袋を置いたまま、とうとう東京へと向かった。

 少女に会わせて下さい。少女はなぜか目隠しをしながらそれでも僕を作詞者と認め、部屋に招き入れた。僕はビワの匂いと新幹線の匂いを消化しきれず、しばらくの間ふらふらしていた。マンションには紳士も歌手の友人もいた。どういうことだ。とにかく僕は少女にこう告げた。

「僕は好きな人にこんにちはもうまく言えないくらいまぬけでトイレのおもちゃを作って売っているくらい無責任だけれど、あなたに伝いたいことがある。−きっと、探せばみつかるよ。」


東京 晴海通り’

 だまされた。僕は軽く監禁され、いくらかのお金をもらって解放された。別に僕が作詞したなんて、言うつもりはなかったのに。今時監禁なんて。そういえば僕は昔長崎に行けば泊まる宿のことを友人に話した事があった。でもあの少女は本物だった。きっとうまく色々なタイミングが合ったのだろう。僕がいてもいなくてもこの世の中はきれいに回っている。あの時の出来事だって、きっと起こるべくして起こったのだ。

 あの時僕は、ひどく胸をときめかせた。一目で彼女を好きになった。「こんにちは。外国での暮らしはどうですか。」初めての海外旅行で出会った彼女は笑顔でそう話しかけてきてくれた。僕は緊張のあまり、とっさに「僕は日本の洋式トイレに嫉妬しているのです。」と、答えてしまた。彼女は笑顔を保ちながらも一瞬表情を曇らせ、「よい旅を。」と言ってどこかへ行ってしまった。日本の洋式トイレは外国に比べて遙かによくできている。僕は海外に出て初めてそのことを知った。デザインもシステムも機能的だ。僕は何となく同じ日本人に嫉妬をおぼえていた。今まで僕は、完璧に守られていたのだ。ただその事を、あの場であんな風に言う必要はなかった。彼女が僕の返事に気を悪くしたというのも実は僕の思い過ごしかもしれない。とにかくそれから、僕は洋式トイレミニチュア専門職人になった。

 僕は大阪に帰り、いつもの公園へ向かった。このところ雨が多く、公園に人影は少なかった。一雨ごとに暖かくなる。僕だけまだお湯の中にいるのに、誰も気づかずお湯の温度だけが上げられていく感じがすると焦る割にいつも結局割と色々な所へ花見に出かける。嫉妬するべきはこの美しい花だろう。雨上がりの湿気をレールにしていつもの少年がするりとやってきた。僕は言った。「今日はどんなのがいい?」いつの間にか隣に少年の母親らしい人が立っていた。「もう、つくらなくてもいいのですよ。」

 あの時僕は解放されたのではなかった。僕はもう、死んでしまったのだ。テレビの画面にはニュース番組が大きく映しだされていた。美少女アイドル誕生、それはいつかのあの少女だった。                                終