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バターライフ

 その時私はバスに乗ろうとして、誰かに呼ばれたような気がしてふと振り返った。そこには人はおらず、真新しい看板が備え付けられていた。「窓を船に変えます。」私はその文字をもまともに追う暇もなく慌ててバスに飛び乗ってしまった。一体どんなサービスなのか、その文字からは想像も出来ず、私はとにかく帰りにもう一度その看板を確かめる事に決めて、あとはずっと進行方向の景色を見ていた。この期待感が一体何なのか、バスの揺れに酔うとともに私は自分でも考えをうまくまとめられずにいた。

 私はある模様を売って歩いていた。私の模様はとにかくよく売れた。しかし私の目的は人の心から柔らかな芽を摘むことにあった。柔らかな芽、こんなものはないほうが幸せなのだ。変わりに素敵な模様があればよい。ただ模様がいいから、と買う人もいるが、大概の人は自ら「柔らかな芽」を手放したがっていた。もちろん無意識のうちにだけれど。

 「見てみませんか。」その店員は言った。いつの間にか駅前に出来たその果物屋で私は何かのにおいにおびき寄せられてそこまできていた。果物なんて、私はいつもマンゴーにある記憶を刺激させてとても苦手なのだが、その日の私はなぜがそこを無視して通ることが出来なかった。私は手渡された梯子を手に駅へと向かった。駅は今まで気が付かなかったけれど、結構色々な人の目が集まっている。誰も注意を向けていないようで、かえってその隙間に身を置こうとしている人がたくさんいる。うまく隙間を見つけたつもりでいる人をのぞく。

 ある人がふと手摺にある文字を見つけた。「窓を船に変えます。」そしてその人は私のところへとやってきた。私は何も言わず、ただにやりと笑って見せた。その人は視線の行き場を混乱させ、何故かお金を置いて去っていってしまった。その言葉は気が付いた人に色々な症状を引き起こさせるようだった。最初のようにどうみつけるのか私めがけて飛んできて余計混乱する人もいるし、引き返して家に帰ってしまう人もいた。

 私は摘んだ芽を外国に売っていた。人の柔らかい芽、は外国に渡るときはもうファッションになってしまっていた。ファッションを他人に押し付けて喜ぶ趣味は程度の違いはあっても何処の国も同じように思われた。 私は果物屋に行き、なるたけたくさんの種類の果物を買って帰った。久々に果物屋に飛び込んだため、せっかくだから色々買ってしまえ、と思った。どれも甘く、おいしかった。りんごはいったいどれだけの手間がかけられているのだろう。最初にりんごを盗んだのは誰だったのだろう。

 


 「その白い小さなスピーカーからは茶色いブラウスがわんわん飛んできて、もう僕の足の裏や掌や耳や口や鼻を塞いでしまって、僕は苦しくなってかんねんした。なぜ茶色いブラウスなのか、僕にはよくその辺の所は分からなかったのだけれど。とにかく僕が覚えているのはそこまでなんです。」

 私がその少年を見つけたのは、ブラウスの山などではなく駅の床に敷かれたタイルの隙間だった。いつもの癖で私がうつむきながら歩いていると、床のタイルが一枚だけ微妙に浮いているのが目に入った。私はそれを踏み割ろうと近づき、隙間の下に少年が座っているのに気が付いた。私は他の人がタイルを踏まないように気を付けて少年を隙間から助け起こした。少年は手に本のたくさん入った手提げ鞄を持っていた。よく見ると、浮いたタイルには「窓を船にします。」と書かれていた。少年はどうやらその文字を見たとたんに襲われたらしかった。少年の場合は何故か茶色いブラウスだった。

 少年と別れた後、私は「ウマいシュウマイ屋」へと向かった。平日の早い時間にまだ他の客は来ておらず、私はカウンターに座ってビールとシュウマイを注文した。この店には鉄板のついたカウンターとシュウマイとビール、しかないのだけれど、ただシュウマイの食べさせ方が少し変わっていて、結構人気があった。一度蒸したシュウマイをカウンターの鉄板に乗せ、上に分厚いバターを乗せるのだった。「人にはね、どうしても体内に生まれた段差をそのまま抱えて毎日それにつまづいてしまう悲しい性質があるのです。その日に生まれた段差はその日の内にならしてしまわないといけません。それにはバター乗せシュウマイが一番なのです。」そんなおかしな売り文句はとにかく、そのシュウマイは不思議なおいしさで一年中客足が途絶えることがなかった。私の「段差」は10センチのバターをつんだって溶けて無くなったりしそうにないのだけれど。

 次に私は「映画専用テレビの青い卓球台」へとやってきた。ある町の卓球場で卓球台を磨く仕事をしていた青年が、自分が磨いた青緑の雑巾の跡に色々な何かが映り込んで毎日めまいを起こしそうになるのに困って、せめて自分で何かをコントロールするために卓球場の待合室にいらなくなったテレビをたくさん集めてきて、色々な映画を働いている間中放映しているのだった。卓球はしなくてもその映画だけは見る、という人がたくさん、昼夜を問わず押し寄せてきていた。みんな青年に答えを見つけたら教えてあげたい、と思っていたが誰も青年が隠している映像が何なのか分からなかった。私はその日放映されていた「縞」という映画を見た。町の横断歩道に、ひたすら何かを書き込んでいる人が大きく映し出された。特に何の効果音もなくしゅるりと映し出されたその画面いっぱいのその顔は、間違いなく私のものだった。


夢はかなうか?

 高校生の時、一時登山部に在籍した。夏に白馬に登り、360度見下ろせる頂上で風に吹かれた。今思うとかなり恥ずかしいが、お下げにしていた髪をほどき、両手を風上に広げた。いまだに家族が私を見ると自然に扇風機の向きを私に当たらないように変えるくらい人工の風が苦手になってしまった。私は、いつかは風になることが出来ると信じていた。大学生の時、夏のスキー場でパラグライダーをした。崖のような急な坂を全力で駆け下りる恐怖を除けば、後は普通の乗り物だった。それからは全く、風になることは諦めてしまった。

 私は風になる代わりに「縞」を手に入れた。この頃は不安に名前を付ける方法を覚えてきた。平静な時間の作り方が、だんだん上手になってきた。しかしその一方で、帽子が目に落ちてきたときの動悸はどうしようもなく、苦しみは日々増していた。もう明け方の炭水化物くらいでは収まらなくなっていた。他人にとんちんかんなことを言って笑う自己防衛も出来なくなってきていた。私は目を凝らすことを覚えると同時に片方の自分の暴走も押さえきれなくなっていた。

 「窓を船にします。」そんな刺激になっていたのは私自身だった。私は自分の段差をみつめた。そしてその段差に絵を描きはじめた。そうやこの方法を卓球のにいちゃんにも教えたろかな、と思った。そして、彼はとっくにこの方法に気がついて、町の人に知らせるためにあんな事をしていたのだろう、という考えが頭をよぎった。私はウマいシュウマイ屋へと向かった。 

 その日のウマいシュウマイ屋は昼間から満席だった。どうにか一席開けてもらい、私はビールとシュウマイを注文した。もうバターはいらん。そう言おうとしたとき、店の扉ががらっと開けられた。一人の女の人が立っていた。私の姿を見つけると真剣な顔で言った。

「それでも窓を船に、してください。私は、行きます。」

私は答えた。

「これから一緒に、旅に出ましょう。私は縞を手放します。どこまでも、一緒に行きましょう。」

店を出ると、そこにはウマいシュウマイ屋の店長が立っていた。何か言ったと思った瞬間、目の前にちらと火花が走り、私は気を失ってしまった。

 気が付くと、目の前に大きな黄色いラベルが横たわっていた。動こうにも、何処にどう力を入れていいのか分からなかった。そのうちだんだんと明かりが強力になった。めまいに耐えられなくなったころ、ようやく事態をのみこんだ。私たちは、どうやら、店のバターにされてしまったのだった。       終