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ズボンチャー

 『アドベンチャー』とその引き戸脇の表札には書かれていた。ひらりとそこを開けると、中は押入になっていた。蝶がうろうろしているわけではないし空に抜けるトンネルがあるわけではないその普通の押入に、よく見ると幾つかの亀裂が走っていて、間から様々な模様を見ることが出来た。「今ここではフレーミング選手権が行われています。」とどこかから声がした。「あなたの『好き』を切り取って持ってきなさい。」どうやらここで見えるのは、誰かが切り取ってきた風景らしかった。

 僕は飛行機の写真でも持ってくればいいのかと思い、つまらないから引き返そうか、と、思った瞬間亀裂の中の一つに人の気配を感じた。よくみるとそれは小さな女の子だった。彼女はひたすら「アナウンサー」と、間髪無く叫び続けていた。「人の声が聞きたくて、でもそれが出来ない怯える少女の図」と言う声がしたかと思うと今度は別の亀裂がぴかりと光った。そこでは「もったいない。」とつぶやきながら少年がボールペンの芯を並べていき、置いた端からボン、という音と焦げ臭い匂いと共にそれが爆発しているのだった。押入で休む布団は、きっと色々なため込んできてしまった思いをここでこうして吐き出しているのだろう、と思い僕は、半紙に墨汁で「会話」と書き壁に貼った。押入は焦げ臭い匂いを残したままよく分からない悲鳴をあげて姿を消した。

 次に現れたのは鞄屋だった。「いいよ、飽きたから。」と言うと鞄屋は「いえいえ、あなたはまだ本当の鞄の魅力を知ってはいないのです。」僕はいつの間にかベランダに出ていた。鞄屋は手に持っていた鞄をすべて僕の前に放り出し、「いらないったら。」と言っている僕の事はもう忘れたように4本の傘を取り出し、ベランダの桟に上向きにくくりつけ、それを開くのかと思えばそれはせず、どこからか白いスクリーンの布を持ってきてそれを上からひとつづつかぶせていった。「じゃ、あたしは12月を探しに行くから。」と言い、彼女は去っていった。僕は残された白いツリーの間で、一人迷子になってしまった。

 僕は一人で泣き明かし、そしてそこに映画館を設立した。「僕のことを捜している誰かがきっとこの映像を作ったのだ。」そうつぶやきながら出てくる客が、そして日に日に増えていった。彼らは毎日のようにやって来るようになり、そしてやがて何らかの商品を持ってくるようになった。商品と言ってもそれは人によって異なり、まさしく腕力の延長になるようなものを持つものの他によく分からないカードを持つ者、足を微妙に伸ばす者など色々だった。僕がそれが商品なのだろうと思ったのは彼らの異様な自信の満ちた顔からだった。

 町では玄関の隅に青い本を置くことが習慣になりはじめた。それは「映画館から家を守るグッズ。」として僕が密かに売り始めたものだった。町の人は皆本を買い、そして映画館横に大量の鞄を捨てにくるようになった。僕はとにかく金持ちになっていった。

 町の人たちが密かに心から抜き取って捨てに来た空っぽの鞄はやがて、僕の快適な眠り場所になっていった。ある日目が覚めると空に、大量のシャボン玉が浮かび、空を灰色に輝かせていた。


シャボン玉シアター

 「切ない。」と、いう言葉、そのままなんです、と12月の女が残していった鞄の中に眠っていた少女は変に自信のこもった声でそう言った。彼女は100万のシャボン玉をつくり、一つ一つに膨らんだ頬を映し、横目でひらがなの「さ」の文字を書き込んでいた。なんで「さ」なの?と聞くと彼女は「さみしいの、さ。」とにこりともせずに答えた。大人の目をしたその表情にそんな感情があるようには思えず僕は、干している洗濯物にひっつかないように気をつけてね、と少し支配人らしい態度を見せまた、しばらくの眠りについた。

 僕は空豆型の青いポーチをした少年が必死に走っている夢を見た。彼は必死だった。あっというまに地平線まで小さくなったかと思うと、スパンコールのようにキラリと光って橙色の海をさらに向こうへと泳いでいってしまった。僕は「後ろ姿スパンコールの壁画」でもつくろうか、と思ったところで目が覚めた。空はまだ灰色だった。僕は鞄の山をすべて青色空豆型ポーチに変え、売り飛ばしてしまった。消えないシャボン玉を抱えた少女はそれっきり姿を見せなくなったが空はいつまでも灰色のままだった。

 僕は100万個のスパンコールを買い、映画館の横に月を作った。曇天の下でそれは、つなぎそこないのバターのようになってしまい、僕は気分が悪くなって映画館に帰った。もうずっと、こうして待っているしかない。窓の外に馬が、「さっきのお金で・・。」とつぶやきながら走りすぎていった。

 明け方老婆が訪ねてきた。「映画『ごはん最高!』の記念モデル空豆型ポーチを売って下さい。」僕がポーチを手渡そうとしたその時、老婆は言った。「あなたはもうあの旅はやめたのですか?」僕は答えた。「僕はもう名前はいらないのです。でも言葉を、探すのはやめません。」老婆は満足したように「今日からここに、住ませてもらいます。」と言って勝手に上がり込んできた。老婆は表のスパンコールを見てただ、ここを宿と思いこんだだけのようだった。僕は近所にタンポポを摘みに行った。

 12月になった。僕は枯らさずにおいておいたタンポポの横で老婆の入れたジャスミンティーとウーロン茶を飲んでいた。次にペットボトルに入った牛乳に手を伸ばそうとしたとき、ペットボトルのそこがぱかりと開いた。のぞき込むと長いクリーム色の梯子があり、僕はいつの間にかそこをゆっくりと降りていた。梯子の下には紙袋があった。よく見るとそこには涙がいっぱいに溜まっていた。ああ、とその取っ手に手をかけようとしたとき、もう一つの取っ手に手を伸ばした人がいた。僕は目薬のようにまっすぐその人を見た。紙袋はいつの間にか船に変わっていた。出発とは、きっとこういうことをいうのだろう。船には「熱」と名前を付けた。  終


昔の天女は可笑しかった

 昔の天女はおかしかった。そう、横から見た観覧車は言った。赤い手袋をして横から観覧車を見ればこの心の、置き忘れられた防虫剤のようなものを、空にぐいんと引き出すことが出来る、という発見をしてから、私は毎日帰りにここに立ち寄るようになっていた。私から毎日を巻き上げながら観覧車は、いつの間にか私に話しかけるようになった。

 私は片端から地下鉄の車両ひとつひとつの左上の部分に一カ所油性ペンで「ケチ」と書いて世界を旅していた。何処の国に行ってもカタカナで直径5センチくらいの大きさで地下鉄車両の左上に「ケチ」と書き、そして次々と国を追われていた。ある日ヨーロッパの町に行き、いつものように地下鉄に降りていったときに階段にぽろりと、ヘアピンを落としてしまった。私はそのまま振り返って階段を駆け上がり、誰にも見られなかったことを確認し、慌ててユーラシア大陸に名前を付け、ヘアピンなんて落としてしまったその事を飲み込んだ。

 恥と恋の扉は似ているのです。最初に観覧車は言った。「とにかく私を正面から見てはいけない、何故なら、」と言っていたのがさきだっただろうか。観覧車はとにかくそれから色々な話をした。「観覧車になる前は、僕はある天女のメガネでした。昔の天女はおかしかった。メガネの扱いなんてひどいもので、僕はいつも涙で目を曇らせていました。」

 地下に降りることが出来なくなってしまったその日、何かに巻き取られるように私はそこにたどりついた。その日の空は近づきがたいほど晴れていた。大きな十円玉がぐるぐる回っているようなひざの重さとその景色は重なり、私はその観覧車へと近づいた。その日私は赤い手袋をしていたのだった。

 ある日私は正面に回って観覧車を見ようとした。すると観覧車は慌ててすねたひまわりのようにくるりと向きを変えてしまった。「正面に並ぶ行列より、あなたに横にいて欲しいのです。分かってもらえるでしょうか。」何故メガネから観覧車になんてなったのか、一度聞いたときうまく話をごまかされてしまった。観覧車はスイセンのように誰かを待っているのだ。私はアンダーグラウンドゲリラに戻る決心をした。

 私は「サッカーボール立体の国」へ行った。サッカーボール立体の国で写真を撮りながら空をサッカーボールと写真で埋めていった。埋めても埋めても、おかしな呼吸は直らず、観覧車が空回りしている映像が頭から離れなかった。

 一つの真っ赤なリンゴを買った。それを心臓と取り替え私はしばらく眠った。寝ている間にユリほどの涙が出て、二日後の朝私は目を覚ました。

 海底に潜りすべての地下ケーブルを束にし、サンタのようにそれを担ぎ、人が列車の窓からスライスチーズを一枚づつ投げるように、私はそれを電話屋に売った。そして自分の電話番号に毎日電話をして留守番電話に「今日はななせん」、と言ってそれを切った。プッシュボタンの配列すらおぼつかなくなってきたあるよその国のような夕方、わらび餅を食べながら私はからのケチャップのビンに目を奪われ、そのまま立ち上がれなくなってしまった。       終