エイリアンブルー

 

 

青い背景に食パンを乗せてカメラで撮影し、実物大にプリントする。

その食欲をそがれた食パンの写真を10枚×10枚合計100枚壁に貼り付ける。

たくさんの花を集めてきて花びらをちぎり、

食パンに一枚一枚ドミノを隅から倒すように順に貼り付けていく。

糊は花びらを腐らせない日本橋の「い糊」を使う。

青の長方形に花びらで埋めた正方形が張り付いた綺麗な壁画が誕生する。

食欲をそがれた食パンは、通りがかる人の奇妙な義務感をあおり、

花びらを貼り付け、食パンを綺麗に埋めさせるために存在する。 

 

町の中で、壁を探す。

恩知川と中央大通りの交差。十三大橋と淀川の交差。

大阪城公園横のJR環状線をまたぐ橋を越えて川沿いに降りる道の横。

南港通りの陸橋自転車用通路脇。川や線路を越える橋を造るため高く盛ら

れたコンクリートの壁、を見つけては掃除をし、落書きを消し、写真を貼る。

正面に、ハケと糊を置く。

はじめは自分で花をむしってきて花びらを端から貼り付けていく。

後は徐々に通行人が参加して、写真の食パンは花びらに埋められていく。

 

「−叔父ちゃんはあなたのことを嫌っている。」

「(いとこの)−はあなたのことを嫌っている。」

そんな言葉を真に受けて育ってしまった。

実際は、誰からも愛されていた。

ずっと、踏ん張る足場がない感じだった。

今の自分を認められず、何でも綺麗に取り込んでこなしてきたけれど

ずっと、顔を上げて歩くということはなかった。 

壁の食パンは順調にうまっていった。

通行人たちはみな、「食欲をそがれた食パン隠し」に没頭した。

ある程度仕上げると川を越え線路をまたぎどこかへ消えていった。

ゆらゆら流れて行く川、わんわん行き交う車、列車。

私は自分だけが行き場所がないような錯覚に襲われていつまでも壁の前に

立ち尽くしていた。

もともとサイコロの裏の目のような場所だった。

私は夏の夕方の空を見上げた。

 

雨が降ってきた。

大きな雨粒にまぶたを打たれ、ぎゅっと目をつぶった後大きく目を開けると、

目の前の花びらがくねりとうねった。

目を凝らしてみて見ると、それは魚のウロコとなり、どこかに泳いでいきそ

うな勢いでまた大きくうねりを見せた。

私はそのしっぽに捕まれば何処かに行けそうな気がして、大きく身を乗り

出した。

 

雨が止んだ。

私は元の場所にいて、目の前には未完成の壁画が前

と変わらないままにあった。

ただ半分以上をうめていた花びらはなくなっていた。  

再び姿を現した太陽の光が写真に反射して一瞬きらりと光ったかと思うと、

陸 橋を行く列車の窓から一人の少女が降ってきた。

少女は大量の目玉焼きとペンを持っていた。

驚く私をよそに、少女は写真に色を塗り始めた。

食パンの周りに白い皿をかき、青い背景を赤と白のチェックにし、パンに

は茶色のペンで焦げ目をつくった。

最後にぺたりと目玉焼きをはった。

少女はぐにゃりと壁に手を入れ、食パンを次々取り出し、

自分でほお張るとともに私にも手渡した。

彼女は初めて口を開いてこう言った。

「あたしらの食欲に、あたしらの食欲に、誰にも文句はゆわせへん。そうやろ?」

 

隘路 私はその土の道の上にばったりと、倒れてしまった。

手のひらと頬に触る質のよい黒く細かく柔らかい土は、いつまでも

ひんやり冷たかった。

「コップに水を汲んできました。置いておくから飲みなさい。」

最初に声をかけてきたのは初老の紳士だった。

私はありがとうとお礼を言い、とうとうそのまま水を干からびさせてしまった。

「この地図のこの場所に行くと親切なお家があるから、ぜひ此処に行ってごらん 。」

「ありがとう。もう少ししたら行ってみます。」

「この季節はしばらく雨は降らないよ。皮膚が乾いてしまうから、この薬草を持っていなさい。」

「ありがとう。気をつけます。」

「星に興味がありますか。星座の地図と物語を置いていくから読んでごらんなさい。

此処なら夜はたくさん見えるはずです。」

「ありがとう。読んでみます。」

色々な人の親切はすべて手をつけないままにしてしまった。

いつまでも手のひらと頬に触る土にこめかみを押し当てていた。

「そんなところにいたって、なんにもなりませんよ。自己実現の道は遠いのです。」

「はい。もう少ししたら、がんばります。」

「あなたはきっとちょっとわがまますぎたのですよ。」

「はい。反省しています。」

「自分なんてね、何処にもないのです。すこしずつ色々な責任を果たして

いって、表現を覚えていって、周りの信頼を得ていく事です。」

「はい。私が傲慢でした。」

こめかみに触る黒い土の冷たさは、もう頭の芯のところまで来ていた。

それでも胸の中にある蜂の大群のような暗闇には届きそうになかった。

「苦しい。」

声に したところで、出て行きそうな気配は全くなかった。

「もっと命を大切にしなさい。命とはかけがえのないものなのです。」

「はい。気をつけます。」

ある時は村長が顔をまっ茶色に塗り、顔の周りに黄色い大きな花びらのよう

なも のをぐるりとつけて「ひまわり」と一言つぶやき、横を通り過ぎていった。

笑った後はいっとき、胸の蜂も沸いた。

ある明け方、一人の男の人がやって来た。

その人は私のすぐ横にしゃがみこみ、黙ってそこにじっとしていた。

ただ時間がたつとともに少しずつ少しずつじりじりと座る方向を変えた。

どうやら夏の何もさえぎるもののない炎天下の道に臥せっている私の顔に、

直接日光が当たらないように影を作ってくれているらしかった。

私ははじめて、自分から話し掛けた。

「ずっとそうして私のそばに、いてくれますか?」

 

紺碧の空 人が見ている空の色は一人一人ぜんぜん違う。

 

中には空に色を見いだせ無いどころか、大きくぽっかり穴を開けてしまう

人もいる。

僕の仕事は、その空洞を確認し、入り口の円の縁の端から端まで

線を引くことである。

実際に瞳に入り込むわけではなく、そういった説明をしながら目をつぶった

その人のまぶたにエイリアンブルーのインクで線を引くのだ。

入り口に掛かった斜めの線は開いてしまった穴の位置と大きさを本人が

とりあえず視点を定めて確認するために存在する。

うまくいけばその糸を頼りに穴がふさがることもある。

 

そこまで行かなくても、誰かに自分に見える空の存在を認められるだけで

人は割合と落ち着く。

間違っても

「空は美しいものです。」

「空とは限りなく大きくあなたに優しいものです。」

なんて一方的に言ったりしては、絶対にいけない。 

 

 

 

 

ある時僕は前後不覚の闇に捕まり、意識が朦朧とする中町を歩いていて、

ある 店先に「エイリアンブルー入荷しました。」の広告を見つけた。

その店はインク屋だった。

万年筆用のインクからパソコンのプリンター用インクカートリッジまで幅広く

扱っていた。

エイリアンブルーは、万年筆用のものだった。

なぜ万年筆用のインクにそんな縁起でもないような名前が付けられたのか

は分からなかったが、とりあえず僕はそれを購入した。

家に帰り僕は早速万年筆にインクをセットした。ペン先も新しいのにし、

何かを書いてみようとしたところで僕は思わず鏡を手にした。僕は自分の目

を見つめ、そしてゆっくり一重のまぶたに線を引いた。

「私の事なんて、忘れてくれていいんです。」

そう言って消えていった顔がはっきりと目に浮かび、頭の後ろにぴりぴり

とした痛みが走った。

 

そうして僕は、今の仕事を始めた。 

今日は二人の女の人が来た。

宣伝もしていないこんなマンションの一室での商売なのに、なぜか客足は

絶えないのだった。客の一人は生パン粉を全身にあび、もう一人は髪に

ぺったりと土をつけていた。

「あたしはね、ここにあたしがいる、ということを誰かに分かってもらい

たかったのです。」

そとの水道で全身を洗い、生パン粉を落として目をつぶり、彼女は話した。

彼女を救い、南港のカモメ大橋まで連れていったという

その「降ってきた」少女は、明け方胸がつかえる病気で死んでしまったという。

僕は丁寧に彼女のまぶたに線を引き、

「痛みを捕まえておくことがつらくなったら、

またここにいらっしゃい。」と声をかけた。

ほとんどの人は一度来たら二度と姿を現すことはなかったのだけれど。 

次に来た女の人−とても綺麗な二重のまぶたをしていた−に影を差し出した

と いうその人は、彼女が影の揺らめきに目をつむってそのままながいこと

忘れていた眠りにつき、夜目が覚めたときにはもうそこにはいなかったの

だという。

蜂の 大群のようだったという胸の暗闇は、出来損ないのうどん、位まで小

さくおだやかになっていて、彼女はとにかく起きあがり、町に帰ってきた。

「その人のことを捜さないのですか?」

と聞くと「いえ、迷惑でしょうから。」と言って彼女はまぶたの下の眼を

ぴくりと動かした。

「迷惑なんて事はないでしょう。きっとその人も待っているでしょうから、

是非探して訪ねていってあげなさい。」

彼女は何も言わずしかし決意したように、ドアをバタン、と閉めて出てい

った。

僕はいつの間にか万年筆のペン先を自分の手のひらに押し当てていた。

青のインクがにじみ、やっと僕は、一人でそこに、飛び込む決意をした。             

 

                  終                                                

 

 

 

 

 

「エイリアンブルー」

text:柴田友美

Illustration:nakaban

 

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