トマトスプーン

以前フィネガンスウェイクウェブに掲載していただいていたSFです。読んでみてください。


トマトスプーン
1
家庭冷蔵庫用の製氷トレーを1ダース買って来る。製氷面を表に接着剤で立体に繋ぎ合わせ、月を作る。僕はそれに座って朝を待つ。月にはこんなに簡単に腰掛けることが出来るのに、僕はうまく目覚めることが出来ない。
僕はごく単純なビールになりたい。古代エジプト人もびっくりするくらい、単純なビールになりたい。ある日僕は、私はパックミルクのように癒されたいの、みたいな顔をしている女の人がやっている缶詰店にやって来た。そしてトマトが丸ごと入った缶詰を買った。いつもは閉まっている店の奥の扉が開いていて、その奥の部屋の壁一面に食器のコレクションが並べられているのが見えた。彼女はもしかして食器も缶詰にして売っているのだろうか。次に店にやってきたとき、彼女がやって来た客の一人にその奥の部屋からダンボール箱を出してきて客に渡しているのを僕は見た。僕はそれからも頻繁に店に通った。
自分の勤めるレストランで僕は新しいメニューを考えていた。窓枠いっぱいに塗ったあまりのマーガリンを全部外の通りがかりのシャンデリアが舐めてしまうほど長い時間が過ぎた後、やっとスープが完成した。僕はレストランの勤務がない日にそのトマトスープの専門の屋台を出すことに決めた。
屋台の車にビールサーバーのようなスープサーバーを数本積み込み、僕は街に出た。そのサーバーは保温効果があり、ベーコンやなんかの具もきちんと一定量出されるものを、レストランの仲間が協力して探してきてくれた。スープは全てレストランで作った。
「やあ、ミネストローネの専門店とは珍しいですね。」ある日一人の男性客がやってきた。「この店は他にも色々なところに行くのですか。」「ええ、こういう商店街の他に住宅街なんかにも行きますよ。ここではもちろんスープ皿でお召し上がりいただきますが、住宅地ではみなさんお鍋を持っていらっしゃいます。」「あの今度、僕の勤めている会社に来ていただけないでしょうか。」男性客は言った。「いいですけど、このスープしか出せませんよ。おやつか晩御飯の足しにするにはいいでしょうが、お昼ご飯のお供には向かないでしょう。よかったらいつか会社のみなさんで僕の勤めているレストランにいらして下さい。」「いえ、いいんです。是非うちの会社に来てください。」男性客は僕に名刺を渡して帰っていった。
ある日レストランに少女が鯛を持ってやって来た。それはクーラーボックスいっぱいに詰められていた。「あのこれを、買ってもらえませんか。」それらはすべて彼女が釣り上げたものだという。「本当にこれは私が釣ったのです。船を用意して、何ヶ月も準備して、やっとここまで釣れるようになったのです。でも私の地元では、誰にも買い上げてもらえません。私は一人なのでこれだけ食べてしまうことも出来ません。このまま腐らせるわけにはいかないので、どうか買い上げてもらえないでしょうか。」鯛はかなりの高品質だった。試食会も兼ねて、僕らは少女を交えて鯛のカルパッチョパーティーを開いた。それからレストランでは定期的に少女から鯛を買い上げる約束をした。少女はお礼に、と言って僕に缶詰をくれた。ラベルを見ると、そこには「グラス缶」と書かれていた。
2
 名刺の会社に行った日は、朝から出ていた霧がなかなか晴れなかった。「私たちの会社はもうすぐ水道橋になります。遺産として愛でられるだけのただの水道橋になります。歴史書や観光ガイドブックも古代からそこに水道橋があったかのように塗り換わります。社員はもちろん自分たちが水道橋になるなんて知りません。ええとどうか最後に、社員にあなたのミネストローネを食べさせてあげて下さい。」会社内のロビーにスタンドを建て、スープサーバーを持ち込んで営業を始めると、次々お客がやってきた。勤務時間中と思われる時間帯もひっきりなしに社員がやってきた。たくさんやってくる会社の来客にもふるまわれていた。
 後日その場所に行ってみると、本当にそこは石造りの水道橋になっていた。通行人が特に違和感を覚えるでもなく自然に行き交う中、僕は缶詰屋の女主人がじっと水道橋をみつめているのを見かけた。もしかして彼女は食器缶に、ある種の苦痛をつめているのかもしれない。彼女はまもなくその場所を離れた。
 僕はボタンタマネギの畑を見るためにある南の島に向かった。ユリの花が床屋になって窓をびりびりいわせるほどの長い旅の末にやっと僕は島に到着した。僕は自分で車を運転する以外すべて、乗り物が苦手なのだ。たった半日の移動でしばらくは頭がぼーっとした。「いつも一世一代の大冒険をした、みたいな顔をしていらっしゃいますね。たった半日で来られる距離なのに。」ボタンタマネギを作っている娘さんが僕を出迎えてくれた。「いやすいません。本当に僕は乗り物がだめなのです。」
 「あの今日島のホテルでレンズベリーがあるんですけど、参加しませんか。」娘さんが畑に向かう車の中で言った。「レンズベリーと言ってもただのレンコンの収穫なんですけど。」ボタンタマネギの視察を終えると、僕たちは島のリゾートホテルへと向かった。ホテルの敷地内には大きな沼地があり、どうやらそこがレンコン畑らしかった。「ようこそ私たちのホテルへ。今日は毎年恒例となりましたレンズベリーを開催いたします。ぬかるみで長い根を掘り起こす作業は結構大変ですが、収穫していただいたレンコンはすべてお持ち帰りいただいてけっこうです。それではご検討をお祈りします。」畑はまるで雷雲のようだった。僕は必死に黒い泥を掘り返した。誰かが僕のこの姿を見ていてくれたらいいのに、と思った。
 収穫量は娘さんの方が圧倒的に多かった。初心者の僕はレンコンを見つけることもままならず、さんさんたる結果に終わった。娘さんにお礼を言って別れ、その日僕はそのホテルに泊まった。僕の泊まった部屋に、イベントの開催の挨拶をしたホテルのオーナーが訪ねて来た。「はじめまして。今日は楽しんでいただけましたか。」「ええとても。といってもかなりの苦戦を強いられましたが。あれもけっこう繊細な作業なのですね。それにしてもリゾートホテルで収穫体験サービスなんて珍しいですね。」「まあ観光シーズンオフの地元の密かな楽しみなのですよ。今度は是非蓮の花が咲いたときにいらしてください。」「ええそうします。この島には結構よく来ていたのですが、こんなところがあるなんて知りませんでした。」次の日僕は島を離れ、また気の遠くなるような旅をした。
3
 レストランで僕は娘さんから送られてきた大量のレンコンを使ってカードの開発を始めた。まったくあそこは豊かな島だ。僕は何度も作業の手を止めて美しいレンコンスライスに見とれた。ホテルのオーナーが僕の部屋に訪ねて来たのはただの客への挨拶ではなかった。「今日はあなたにお願いがあって来ました。」「映画のように、食べたら自分の影がいっとき消えてなくなるお菓子を作れ、とかですか。そういうのは、わりと得意です。」「いいえ消して欲しいのは影ではなくてその人自身、です。」「どういうことでしょう。」「それにしても今時の子供は影で遊んだりしないでしょうね。」
 トマトスープの店を駅前に出していると、ラジオから「月と油現象発生」というニュースが流れてきた。雪の結晶のようなカードは、思ったよりも早く普及した。水のグラスとスープ皿とスープスプーンを車の中の食器洗い機に次々放り込みながら僕は駅の改札から出て来る新しい集団を見つめた。そして空いたサーバーの掃除をした。
 あちらこちらから買い付けた果物が厨房の一箇所に敷き詰められていた。収穫の多い季節になると自然と僕たちがデコレーションケーキを作るのも力が入った。それにしても、あのショーケースに並べられたデコレーションケーキの衝撃は、一体なんだろう。そこにケーキ屋があって通りかかればデコレーションケーキが目に入るのも分かっているのに見るとやはり衝撃を受けてしまう、あれはなんなのだろう。きっとこれは多くの国で経験される事だろう。僕はもしかしてあの衝撃が忘れられなくてこの仕事を選んだのかもしれない。もしかして缶詰屋の女主人も同じような理由で缶詰屋になったのかもしれない。僕はオーブンに生地を入れながらそんな事を考えた。
 今年は特に果物の質が良く、いつもにも増していいデコレーションケーキが出来た。客の反応をいちいち見に行きたいくらいだった。レストランは砂糖漬けになっていた。だからけっこう見つけるのは難しかったのだか、一度中に入るとガラス越しに砂糖の結晶を見る事が出来た。僕はそのガラスの外から砂糖に漬かりながら中を覗き込みたい衝動にかられた。
 映画館の前にトマトスープの店を出していたある日、缶詰屋の女主人がやってきた。「こんにちは。」僕はカードの事でとうとうやってきたのだろう、と思った。「ミネストローネしかありませんが、よろしいですか。」「ええ、いただきます。」水とスープとスプーンを受け取った彼女はそしてとても美味しそうにスープを食べた。「これはいつもうちで買っていただく缶詰ですね。」意外な言葉が返ってきた。「ええそうです。僕の事ご存知でしたか。あの、スープは気に入っていただけましたか。今この映画を御覧になったのですか。おもしろかったですか。僕まだ見てないんです。あの、店の食器缶の事を教えていただけますか。」「私はどうしてもあなたに会いたくて、鳩の翼から飛び降りたのです。ただそれだけです。おかしな事を言ってすみません。いつか旅の準備をされるときは、どうかうちの店に来てください。缶詰の品揃えには、ちょっと自信があります。」「僕はどこにも行きませんよ。なんといったって旅は大嫌いなのです。」  終

コメント

  1. ヨコヤマ says:

    読ませていただきましたよ~!!
    すっごく不思議な感じで、でも心がホッコリするかわいいお話しですねー☆
    なんだか、とってもトマトスープが飲みたくなりました。
    そして、缶詰屋さんにも行ってみたいし、レンコン堀したい・・・。なんて思ってしまいました(笑)

  2. 柴田 says:

    横山さん!元気?読んでくれてありがとう。最近全然文章なんて書かなくなった割に日記だけ続けてるのでなんとかしないかんなあと思って昔書いたのを載せてみました。来月の5月でこのサイトオープンしてから3年になるねんけど、かなり目的を見失ってます。私自身が・・。やばい・・。日記は続けるのでまた見に来てね。しかし今読むと変な感じです。

  3. ヨコヤマ says:

    私は何とか元気です。田舎の空気や景色なんかにだいぶ癒されています。大阪に戻りたいとも思うのですが、まだまだ時間はかかりそうです。。
    もう3年になるんですね~!すごい!
    あまり無理なさらずに。。日記楽しみにしてますね!
    ゆっくりぼちぼちいきましょ~。(自分にもかなり言い聞かせてます。偉そうなこと言ってごめんなさい。)

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